アカデミックイヤーの期首が9月になりそうである。
確かにグローバルな見解であるが、なぜ欧米に合わせる必要があるのか?
桜咲く季節の門出はニッポンの文化ではないのか?
プロパーの確保と8月の海外枠の二つのマーケットがある方が企業にとって刺激的だったと残念に思う。
『英語で教えないと』で新型コロナウイルスのことを取り上げてから今日で70日が経過した。
生徒間における学力差はかなり開いたと思う。
誘惑に流されず、効率的に時間を使えた生徒たちは、今後も困難に打ち勝つ土壌を形成できたであろう。
一方、未来を予想できず準備を怠った生徒たちは、大幅に学力が後退してしまい、巻返しは現実的に困難であろう。
これを「学力格差の是正」だとボトムに進度を合わせ、9月スタートにしたら、とんでもない未来が待っているのは明白である。
9月までの間、子どもたちは何をするのか?
自治体はホームページにリンクを貼り付け、ここにアクセスして自習するよう家庭に訴えている。
受講者の得点が記録されないから緊張感のかけらもないし、ワクワクするような仕掛けが見つけられない。
とにかく臨時休校が長引くだけの教育支援を具体的に国は進めるべきである。
例えば、⚫️⚫️ゼミ数社でコンペし、タブレットとプリインストールされた夏休み前までの単元を生徒全員に配布する。
各学校の教師は進捗状況やエッセイ、レポートのチェック、ウェブ面談を行い、前期分の評価をする。
もしこの通信教育が功を奏するのであれば、後期からは徐々にスクーリングを行い、実技の評価をすればいい。
大学の通信教育部のようなレポート+スクーリング型でもいいし、⚫️⚫️ゼミのようなタブレットを用いたオンライン学習のどちらでも構わない。
とにかく生きるために子どもたちに家庭で何か学習させるしかない。