僕は薄情な人間である。
これまでたくさんフラれてきたが、心の中にはずっと一人だけの女性がいた。
A子を「最初で最後の人」と決めつけ、フラれた後も崇高なイメージをA子に抱いてそれなりに頑張ってきたつもりだった。
じゃあ、なんでA子だったのか?
それは僕を「承認」してくれたからだ。
「●●なら絶対に大丈夫だよ!」
「●●ほどの男ができないわけないよ!」と、いつでもA子は僕を承認してくれた。
当時、ポケベルのメッセージをもらうだけで、ヤル気が湧いていた。
脳科学で言うならば、当時の僕は承認欲求が満たされ、脳内の報酬系が刺激され、ドーパミンが分泌されまくっていた。
「きみがいてくれるなら、なんでもできる気になるよ」
B’zの歌詞のようなハイな状態であった。
その後、あっけなくフラれるが、受け入れられない僕は代替欲求を叶えようとした。
またB’zの歌詞に出てきそうな「きみが教えてくれた●●」を追い求めた。
かなりA子に持ち上げてもらっていたので、僕の潜在能力が孫悟飯ばりに埋まっていると信じていた。
英語を勉強し直そうと思ったのもその頃である。
家業と関連性のあるハウスメーカーへの就職をあきらめ、商社を受け直した。
この頃の直向きな僕は空前絶後のモテ期を迎えていた。
代替欲求が、後輩のB美ちゃん、講師仲間のCさんに向かっていれば良かったのだが、A子の言葉は「聖典」となった。
もはや宗教である。
残念ながら一神教であり、A子との再会を夢に見て頑張るだけの毎日を送った。
上記の内容を全て過去形で書けているので、もう毒は抜けただろう。
自分の作り上げた幻想にコントロールされた20代であったが、得るものも大きかった。
留学して英語をマスターできたし、海外出張して、エージェント気分で外国人と渡り合うこともできた。
すべてはさじ加減である。
僕はこのチカラを僕自身と教育に活かしていきたい。