今日、職場で37.6℃の熱が出た。
カラダが痛いし、悪寒と頭痛の攻撃に耐えられなくなった。
先月インフルで休んだ以上、もう職場を休みたくない。
夕方の診療を祈る気持ちで待っている。
本も頭が痛くて読めないので、三年間の生活を振り返りたい。
36にして、僕は教員採用試験に合格した。
初挑戦は33の時だ。
カイシャでの扱われ方に疑問を覚えていた。
本当は駐在員になりたかった。
大阪への転勤を命じられ、運命をかけた決断だった。
河合塾の小論講座でいつも合格判定だった僕は、現実を受け止められなかった。
目減りしていく貯金から切符を買い、教育実習に参加した当時の僕は咳が止まらなかった。
そんな僕を得意先さんが拾ってくれた。
3年間ガムシャラに働いたが、職場の雰囲気が全く合わなかった。
僕はあるビジネスの方向転換を機に、公務員試験を受けることを決意した。
合格後、辞めるのに時間を要した。
裏切り者として、3月までいるのが辛かった。
正月に死んだ父親に報告し、とても喜んでくれた。
僕は公立の泥水を飲む覚悟があった。
しかし面接の電話は、期待よりも不安しかなかった。
配属が決まり、自宅からの通勤は1.5時間も要する。
鬱になった同期の子と歓迎会に出た際に、土日はないと思え、と言われたのを覚えている。
その人が悪いのではないが、往復3時間もかけて指導する意味はあるのか、という疑問は消えることはなかった。
本当は誰かメンターになってくれる人が必要だった。
いきなり担任をやらされ、同期の子は正月明けにいなくなった。
相談できる人がいないし、聞くと嫌な顔をする人たちの集まりだった。
結果、僕は留年した。
2年目は笑いながら、心の中では泣いていた。
鬱になりかけても、這いつくばって電車に乗った。
救いがALTの先生の存在である。
僕のグチを放課後によく聞いてくれた。
今年、少人数での英語の授業が始まった。
僕は板書をほとんどしないし、ノートもチェックしない。
それを直せと、他の先生方に言われてからは、カリカリと下手くそな字で板書している。
子供たちも大きくなり、最近、僕の夢を聞いてくれる。
もっと英語を話せるようになりたい。
留学したい!といった夢はご時世から差し控えるようになった。
僕は子ども達と毎日楽しく過ごしたい。
今まで行ったことのないところに連れてってあげたい。
僕が死んだ時に、パパの話で盛り上がってくれたら幸せだ。
言い訳だけど、オンリーワンな生き方を家族や友だちとシェアしたい。
さて病院に行こうかな…。